1984-02-24 第101回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号
第二の線がトラック島を中心としたカロリン諸島、第三の線がマリアナ諸島その他であります。そうして続いていった。総反攻が始まったときに大本営が、防衛の第一線として絶対国防圏を設定する、第一線がマーシャル諸島、第二線がトラック島を中心としたカロリン諸島、第三線がマリアナ諸島を中心としたものであります。それから第四線がフィリピン、沖縄というように設定した。
第二の線がトラック島を中心としたカロリン諸島、第三の線がマリアナ諸島その他であります。そうして続いていった。総反攻が始まったときに大本営が、防衛の第一線として絶対国防圏を設定する、第一線がマーシャル諸島、第二線がトラック島を中心としたカロリン諸島、第三線がマリアナ諸島を中心としたものであります。それから第四線がフィリピン、沖縄というように設定した。
戦没者の御遺族及び戦傷者の方々に対します援護、さらにルソン、ニューブリテン、サイパン、西カロリン諸島等にいまだに眠っていると言われる多くの英霊の遺骨の収集、また、これらの霊に対します供養塔と申しますか、その建立などをあわせますときに、援護行政はまだまだこれからとの念を深めるわけでございます。援護行政を今後どのように施していくか、まず渡辺厚生大臣にこの基本的姿勢をお伺いする次第でございます。
さらに、カロリン諸島のエンダービー島には、昭和四十七年の十月に調査を実施いたしております。それから、ソロモン諸島のセントジョージ島におきましては、四十八年の五月に調査を実施いたしております。
それからカロリン諸島のエンダベリー島におきまして、昭和四十七年十月にそういうような情報がございましたので、昭和四十七年の十月に、これも人を派遣しております。それからソロモン諸島のセントジョージ島には、昭和四十八年五月、それからフィリピンのミンダナオ島につきましては、昭和四十八年十一月、いずれも調査団を派遣いたしました。
いまここに持っておりますけれども、時間がないからやめますけれども、ただ大臣、西太平洋上の西カロリン諸島のメレヨン島に、広島県の福山地方出身者の第六十五独立歩兵団で編成された独立混成第五旅団というのが駐とんしておりました。昭和十九年の八月から終戦までの一年間、岩盤ですから遂に食糧は一つもなくなってしまって、要請もできない。飢餓の地獄のままで、大本営もどこもみな放置していた。
カロリン諸島が海軍の艦隊の停泊地。グアム島の強化計画、七一会計年度から。これは飛行場の強化が進んでいます。当然これは地下弾薬庫十七むねの増設、軍港の補強、修理、艦船の補修施設をつくる。
それからサイパン、テニアン、ロタ、カロリン諸島ということで、これは四十七年までの六年間の合計が約一億四千万円、こういうわけなんですね。 ところが、オーストラリアというのは、人口どのくらいあるか、皆さん御存じですか。――いいです。オーストラリアというのは、人口一千万ちょっとなんですよ。一千万ちょっとで、第二次大戦でなくなった方は、計算をすると日本の五十七分の一なんですよ。
当日は非常に波風が穏やかな日であったので遭難したとは思えないということで、戦友の方がなお生きているのじゃないかという気持ちを持たれたのでございますが、この点につきまして、昨年中部太平洋、マリアナ、カロリン諸島方面の遺骨収集を行ないました際に、戦友の方にも行ってもらいまして、エンダービー島の生存者の捜索をやりました。
○中村説明員 明年度の予算要求といたしましては、遺骨収集につきましては、マリアナ諸島、カロリン諸島、西マレーシア、ジャワ等につきましての遺骨収集、それから、遺骨収集が事実上できませんビルマ地区につきましては、戦跡慰霊巡拝の計画を持っております。
去る六月の二十八日にカロリン諸島に発生した、初めは非常に弱い熱帯低気圧であったのでありますが、それが二十九日の昼ごろにはヤップ島に達して、中心気圧が九百九十五ミリバール、そこで台風第二号と、こういうことになったわけでありますが、その後台風は本土に接近するにつれて逐次発達をしてまいりまして、九百五十五ミリバールとなり、七月五日午後六時三十分ごろ紀伊半島に上陸をしたのでありますが、その後実はきのうの四時前
最後に、台風第二号について御説明を申し上げますと、去る六月二十八日カロリン諸島に発生しました弱い熱帯性低気圧は、二十九日の昼ごろにヤップ島に達しまして、当時中心気圧が九九五ミリバールの台風第二号となったわけであります。
ミクロネシア地域の戦没者数は、サイパン、テニアン、グアム、アンガウル、ペリリュー、ロタ等の地域が約八万五千人、さらにマーシャル諸島が一万六千人、カロリン諸島が二万六千人、合わせまして約十一万七千人でございます。
なお、本年度はフィリピンのレイテ島及びルソン島、マリアナ諸島のサイパン島及びテニアン島、カロリン諸島のメレヨン島の遺骨収集を実施する予定でございます。海外戦没者の遺骨の収集は、政府の責任において実施することとしておりますので、民間団体が行なう遺骨収集等の計画に経費を補助するというようなことは考えておりません。
発見されるというふうなことで、そういう情報がもたらされている地点がまだ相当ございますので、このようなものをそのままにして放置しておくということは全く申しわけないことでございますので、こういった地点につきましては、当該国と交渉をいたしました上、さらに遺骨収集を実施することにいたしまして、四十二年度におきましては、フィリピンのうちでルソン島、それからレイテ島及びマリアナ諸島のサイパン、テニヤン並びにカロリン諸島
昭和四十二年度におきましては、戦没者の一番多く出ましたフィリピンのうちのレイテ、マリアナ諸島のサイパン、テニヤンあるいはカロリン諸島のメレヨンといったようなうち、南洋の島々で玉砕されましたたくさんの遺骨がいまだに山野にさらされているというところについて、遺骨収集の計画を、予算もすでに確定いたしまして、練っておるところでございます。
米軍は、七日一機、八日以降は三機、さらに十二日から十五日まで艦艇一隻をもって現場付近の海域を捜索いたしましたほか、西カロリン諸島方面に対しても、十二日から二十三日まで艦艇一隻及び十九日から二十一日まで航空機一機をもって捜索を行なった旨連絡がありました。
続きまして、七月十三日から十四日ごろ、カロリン諸島方面に発生いたしました台風十一号が、東方海上の高気圧の張り出し方が弱かったため、例年より東寄りに北進いたしまして、例年ならば秋の台風のたどりますようなコースをたどり、二十三日の早朝に静岡県の御前崎附近に上陸いたしまして、関東中央部から東北地方の太平洋沿岸沿いを北上いたしまして、その日の夕刻に北海道の東部方面に抜けたわけでございます。
これに続きまして、七月十三日−十四日ごろ、カロリン諸島付近に発生いたしました台風十一号は、東方海上の高気圧の張り出し方が弱かったために、例年よりも東寄りに北進いたしまして、七月の台風としては秋の台風のようなコースをたどったわけでございますが、二十三日の早朝に静岡県の御前岬の付近に上陸いたしまして、関東の中央部から東北地方の太平洋沿岸を北上いたしまして、その日の夕刻北海道の東部方面に抜けております。
○北村説明員 十五号台風と申しますのは、九月十八日にカロリン諸島の東部に発生しました弱い熱帯性低気圧が発達したものでございますが、この台風は台湾の南東海上に達するころから非常に強いものになつて参りまして、二十五日の八時頃には石垣島の西を通りまして十八時に沖縄の北西海上に達しました。
私は、当時委員会におきましても、定期的に来るところの災害である限りは、これを当初予算に組まないということは無責任であることを強く強調いたしたのでございますが、残念ながら今日の実情から見ますると、昨年関東を襲うたアイオン台風から、昨日の新聞によりますると、アリーン台風がカロリン諸島の南から北西に推移しつつあるということでございますが、すでに日本近海を襲うところの台風は二十有余を数えており、また日本本土